古法華寺の恒例行事

・春まつり…4月第2日曜日頃  ・秋まつり…11月23日頃
 春秋共に午前9時より本尊ご開帳〜読経〜石仏開眼〜護摩供 等
秋の古法華(どうざんつつじ)                 春の古法華(しだれ桜)
古法華寺 観音堂
写真にカーソールを合わせると、秋の古法華がご覧になれます。
写真にカーソールを合わせると、秋の古法華がご覧になれます。

(参道のどうざんつつじ)
        古法華の概要

 古法華山は播磨の国、加西盆地の南縁、加西市西長町の山地にあり、北条鉄道播磨下里駅の西南約3キロの位置にある。善防山(251.4メートル)と笠松山(244.4メートル)とを前後にする峰つづきにかこまれた谷間で、標高130メートル位のところである。古くから三方からの参詣道が通じている。
 周囲に八十八ヶ所の石祠が谷をわたって点在し、その山裾の斜面に石垣を築いて平地にしたところに観音堂、南側に収蔵庫、北側に庫裡(石彫アトリエ館)が建っている。
 この地は古くから寺院堂塔があり、戦火にあって焼失したと云い伝えられている。現に観音堂より南300メートルほどのところ、谷川の対岸には古瓦片が発見され、伽藍の跡とも云われている。
 古くから修験信者が多く参籠すると霊験あらたかと云うので、今も地元(加西市王子町・戸田井町・両月町・大村町・牛居町・西長町・東長町・岸呂町以上八ヶ町共有)はもとより遠路からの信者も多数みうける。
 この観音堂の正面、木造厨子中に安置されていた三尊石仏については最近迄その歴史的、美術的価値を知る人とてなかった。ところがたまたま、昭和30年に甲陽史学会の田岡香逸氏らの調査により、奈良国立博物館に保存展示され、はじめて世に知られ、奈良時代前期白鳳時代のたぐい稀な優秀なる歴史的・美術的遺品であることが明らかにされ、昭和36年6月文化庁より国の重要文化財に指定された。
 その後、石仏の保存修理が京都美術院で完成、収蔵庫(保存庫)が現地に完成されるや昭和46年4月に返還、保存庫に安置された。
 現在、全国各地より史学家等の見学はあとをたたない。この観音堂は、多聞寺の管轄になっており、毎年春と秋の例祭には、収蔵庫をご開帳し、三尊石仏の供養法要を修行している。三尊石仏は加西市教育委員会が管理している。

 三尊像は、凝灰岩の板石の表面に半肉彫りで刻まれたものであるが、過去に火災の厄にあい、天蓋および三尊は半肉彫りの部分が剥落しているのが惜しまれる。
 板石は、102pに72p、厚21p、その表面両側と下辺に2.5p巾のうすい額どりがあって、その中に厚肉彫りの諸像を刻み出す中尊(身長約46p)は椅子に腰かけ、脇侍はやや腰をひねり、片足をすこしあそばせて立つ、三尊とも円光背を配し、脇侍の頭上には三層の宝塔がならび、その間には天蓋がつるされていたようである。中尊の下部には香炉形がおかれ、その左右には獅子像があって、脇侍の蓮座をその頭上にささえる。三尊像様式としてはととのった構成をしめしている。細部の手法にきわめてすぐれた技術がみとめられ、磚仏や押出仏に多くの佳作をのこした白鳳時代のこの種の仏教美術の代表的な作である。
 では、この石仏はどこで造られたかであるが、その石材は当地で採掘される「長石」(おさいし)と同質であるところから、この山の石材をもって、このあたりで造られたものと推定されている。
 尚、当石仏について詳しいことを知りたい方は、奈良国立博物館学芸部にお尋ね下さい。

    国指定年月日  昭和36年6月30日(彫刻)
    修理修復帰山  昭和46年4月24日(奈良国立博物館にて修復)
    入  仏  式  昭和46年5月 5日(多聞寺住職によって入仏)


       石造厨子屋蓋

 
三尊像上に錣葺きの屋根を刻み出した石造厨子屋蓋がある。この三尊石仏を奥壁とする石造厨子の屋蓋で、その示す建築手法は玉虫厨子を思わせる。側壁、正面扉を失っているのは惜しい。
 屋蓋についてみると、正面122p、側面84p、高さ50p内外の一石より成る。屋根は入母屋造りで行基葺、瓦は一つ一つあらわされ、切妻の降棟と寄棟の隅棟とはいずれも堆くきざまれている。
 屋根の全形をみると、正面と背面とで造作の精疎の差があるだけでなく、切妻、寄棟部ともに屋根の前流れが後流れよりもやや長く、したがって傾斜もそれだけゆるくなっている。ただしそのやだるみにいたっては、切妻部にはほとんどみとめられないが、寄棟部にはわずかにそれがみられる。
 このようにみるとこれは屋蓋としてその下に左右と背面とに壁を設け、正面に扉をつけた厨子形であることはほぼ間違いないであろう。しかも天井部に残されている奥壁のはめこみの溝をみると、これはさきの三尊像の板石の上端と同じ寸法であって、これがそこにはめこまれていたことは明らかである。側壁も厚さ10p内外の板石で奥壁の左右の外側にこれを囲って立つものであったと考えられるが、まだその遺材をみいだすことができていない。正面扉は軸穴が二つ左右対称に並んでいるので、両開きであったことは明らかであり巾40p、丈100pちかい板石の扉が軸でつられていたものと考えられる。この厨子形の高さは奥壁板石が102pをはかるのであるから、屋蓋をいれて大棟までは150pあまりと推定されるが、ただその基壇部については、その遺材がみあたらないので推定は困難である。
古法華寺石造浮彫如来像及び両脇侍像
国指定重要文化財
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