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 多聞寺現本堂の内陣格天井には、十世俊成大嶺大和尚直筆の(花)絵が奉納されている。
多聞寺現本堂は、天保十三年(1842)三月、十一世祥雲南嶺大和尚代に上棟され現在に至っているが、俊成大嶺大和尚の弟子である祥雲南嶺大和尚は、新築本堂の内陣天井に師の作を後世に残す為、108枚の絵を上げられた。
  天井絵を拝見して、初代成龍齋一如居士(当寺十世)は、開祖として、「容真御流」の花線を広めるために、各地を巡遊して流格七軸を定めながら、「心の枝」を求めておられたことと拝察する。
直筆『絵天井』
多聞寺十世俊成大嶺大和尚(容真流開祖)
容真流開祖多聞寺 十世 俊成大嶺大和尚 畧歴

  開祖、初代成龍齋一如居士は、播州加西郡吉野村 安楽氣氏の産にして、六歳の時父に離れ、無常を観して母に出家せん事を希う。母も其の決意の固きと父の菩提の為と思い、是を祝い許されたり。それより禅門菩提達磨の宗に入り、不流文字、教化別伝の法を修し、諸国を行脚して名僧知識に随身し、小悟すること七度、二十歳にして園の梅花を見て初めて大悟し、姫路景福寺に於いて長老となり、後、加西郡西横田村佛名禅寺十世となり、住職たる事十一カ年、其の間、参内して色衣大和尚となり、俊成大嶺と呼ぶ。
  それより、加西郡尾崎村(現.加西市尾崎町288).祝融山 多聞禅寺十世に任して、江湖会に於いて禅宗の三出精を勤む。老後、住職を徒弟 祥雲南嶺に譲り、隠寮を建設して華道心法無外の一流を起こし、風月を友として遊ぶ。(五十歳にて隠居、華一途の道に入る)
  此の時(天保十一年)に、御室御所宮(京都仁和寺)より活華を献ずべき旨、御沙汰を蒙り、御所に伺候して活華五瓶を尊覧に供したり。幸いにも、宮猊下の御感に預かり、それより「容真御流」と命名し、華道を以て諸人へ教化善導し、御流を諸国へ弘むべき家元の樹立を免され、御室御所の華務職を拝命す。
  御室は、櫻の名所なるに因みて、姓を櫻居氏と賜り、且つ櫻を以て家の紋章とする事を許されたり。
  晩年に居士の甥なる岡氏を養い、六十歳の時、家元を譲られる。是れ二代成龍齋一間なり。
  終焉の地は、大阪市東区今橋二丁目の寓居に於いて、文久二年(1863)亥十二月十日永眠される。
華道 容 真 流